佐村河内事件と新垣氏がその為に書いた音楽自体について

佐村河内事件と新垣氏がその為に書いた音楽自体について一つ補足します。

佐村河内名義で新垣氏が書いた曲は、クラシックにも同時代の曲があるという気付きと、20世紀以降のクラシック、現代音楽の第1級の作品を聴いてきたバックグラウンドの無い音楽愛好家の方に取っつきやすい現代日本の一般人等身大の感傷性をもっている入門用ピースとして一定の役割をもてる可能性はありますが、本来は、多くのクラシック演奏家も音楽ファンも、ストラヴィンスキー以降、メシアンブリテンショスタコーヴィチプロコフィエフ、新ヴィーン楽派、アイヴス、ヒナステラ、武満、黛、湯浅、ルトスワフスキから現代日本の多くの作曲家まで、十分に聴いて、耳を肥やさなければなりません。そのように耳が肥えた演奏家と聴衆が育った時には、佐村河内名で新垣氏が書いた曲は役割を終える可能性が高い。
近現代の名作の数々、新垣氏以外の現代の多くの作曲家の作品が広く演奏される状況が生まれてきた時には、これらの曲は生きのこるのは難しいでしょう。

プロコフィエフショスタコーヴィチやニールセンやオネゲルやヴォーン=ウィリアムスやヘンツェなどの20世紀の第1級の交響曲を知っている音楽愛好家なら、この交響曲「Hiroshima」は、それらに比肩するような交響曲ではないと気付くと思います。

日本のクラシック演奏界は20世紀の音楽について、例えば、ヴィラ=ロボスやミヨーやマルティヌーなどでさえ十分な演奏頻度で取り上げていません。
一方、普段はモーツアルトベートーヴェンしか聴いていない耳の人に、リゲティメシアンは時代様式の開きがありすぎます。
クラシック演奏界が近現代の音楽の歩みをともにしてこなかった為に生まれた、こうした空白があったために、佐村河内名義の19世紀〜20世紀折衷様式で交響曲が歓迎され、指揮者や、プロオケの演奏家が、この交響曲を歓迎する間隙があったのでしょう。

ただし、新垣氏が佐村河内名義で書いた作品が、クラシック音楽のメインストリームを形作るような作品ではなくとも、これらの曲が、ある時代の空気を映し出す風変りなマイナー名曲としてひっそりと音楽史の片隅に生き残る可能性はあります。
ヨーロッパ音楽の主流の、作曲技術史、様式発展の文脈には、この交響曲はまるでのっかっていません。そういう面で、大野和士氏が「クラシック音楽」として評価しないのはわかります。しかし、現代日本人の社会の心情、日常生活を送る一般人の不安というもの、時代と社会の空気を、ヨーロッパ留学組の前衛のエリート作品よりも、はるかに反映しているという点で、同時代性を持っています。現代日本の時代の空気を、ブーレーズに心酔し講習会で学んだ技法を組み合わせた作品よりも共有している音楽だと思います。
この21世紀のあたまの震災後の現代日本の社会の気分、時代をうつした音楽として、意外と、この曲は、細々とレパートリーの片隅に時々、思いだされて、生き延びる可能性もあります。

カメレオン作曲家の新垣隆氏は、一般の音楽ファンも演奏家も気付かないほシームレスに感動の名曲風な多様式のコラージュで等身大の現代日本人の情緒と時代の空気を反映した、ポリスタイルな、ポストモダンな、パロディ的なアイロニーを持った交響曲を巧妙に書いたのですが、その仕掛けはあまりにもよくできていた。

佐村河内守事件についての、演奏家と音楽愛好家へのお願い

現代日本の中堅作曲家が交響曲などの大規模な作品を書いても、ほとんどのクラシックの演奏家、演奏団体は、取り上げません。こういう日本の演奏界の状況をつくりだしてしまったのは誰でしょうか?新垣さんがご自身で、これらの作品を、オーケストラの事務局や様々な演奏家に真正面からプロモートしていたら、演奏されていたでしょうか。現代のほとんどの作曲家はオーケストラ作品を書く能力があっても、実際に演奏され聴かれる機会が十分ありません。この状況下、自分の名前を売る名誉欲も報酬への欲もなく、自分の書いた音楽が音になり広く聴かれる機会が目の前にあった時、つい作曲を引き受けてしまった心情を、作品演奏機会を渇望する作曲家同士として想像します。
佐村河内氏やNHKやレコード会社や演奏団体やマネジメントが、ヒロシマや震災や障がいを、あざとく利用した手法が暴走したことは社会的に許されることではありません。その暴走を新垣氏は許せなくなりブレーキをかけました。
一方、その安っぽい売りこみでしか、現代日本の作曲家の作品を演奏したり聴いたりしようとしなかった日本のクラシック音楽界の同時代音楽受容度の安っぽさも露呈しました。
実際に多くの聴衆を感動させた音楽の作曲家であり、非常に先鋭的な作品から佐村河内名義で演奏された調性の多くの人に親しまれる作風まで、様式を変えながら高いクオリティの音楽を書くことができる、いわば天才的カメレオン作曲家であったともいえる新垣氏の音楽が封印されてしまわないことを願います。
私は、独学の現代音楽作曲家ですが、優れた演奏家の方々に作品を演奏していただいき感謝しています。 これを見られるであろう演奏家の方々にも特別なお願いがあります。
どうか、新垣氏の作品を、新垣氏の作曲者クレジットのもと、積極的に演奏してください。それが新垣先生の名誉回復に最も力になると思います。
同時に、新垣氏以外の同時代の作曲家の作品を、どんどん演奏してください。

ただし、一つ補足します。
佐村河内名義で新垣氏が書いた曲は、クラシックにも同時代の曲があるという気付きと、20世紀以降のクラシック、現代音楽の第1級の作品を聴いてきたバックグラウンドの無い音楽愛好家の方に取っつきやすい現代日本の一般人等身大の感傷性をもっている入門用ピースとして一定の役割をもてる可能性はありますが、本来は、多くのクラシック演奏家も音楽ファンも、ストラヴィンスキー以降、メシアンブリテンショスタコーヴィチプロコフィエフ、新ヴィーン楽派、アイヴス、武満、黛、湯浅、ルトスワフスキから現代日本の多くの作曲家まで、十分に聴いて、耳を肥やさなければなりません。そのように耳が肥えた演奏家と聴衆が育った時には、佐村河内名で新垣氏が書いた曲は役割を終えると思います。
新垣氏以外の現代の多くの作曲家の作品が広く演奏される状況が生まれてきた時、新垣氏の作品が多くの現代作品の中で生き残るほどの曲であるかどうかは別問題です。
プロコフィエフショスタコーヴィチやニールセンやオネゲルやヴォーン=ウィリアムスやヘンツェなどの20世紀の第1級の名作を知っている音楽愛好家なら、この交響曲「Hiroshima」は、それらに比肩するような交響曲ではないと気付くと思います。

大阪大学宮崎慶次名誉教授の原子力に固執する技術観について

朝日新聞2014年1月18日付朝刊、「私の視点」において、大阪大学名誉教授、宮崎慶次氏が次のようなことを述べている。これが大阪大学という最高学府の一つで名誉教授という地位を得ている人の技術観のレベルなのだろうか。
?「自動車が進化をとげてきたように、一般に新型炉は安全性と経済性ともすぐれている。今後は、古い旧式原発を最新設計の原発の建て替える経営判断が大切」
?「ウラン資源に限りがある。将来的に高速増殖炉と再処理で核燃料を増やしながら使用するのが国家百年の計にかなう。それこそが百年千年とエネルギー文明の持続を期して原発を推進する正当性だ」
?「1999年に旧核燃料サイクル開発機構(現日本原子力研究開発機構)が出した報告書『わが国における高レベル放射性廃棄物地層処分に技術的信頼性』を読むと、地層処分は技術的にはすでにめどがついている。」
?「日本の方式は使用済み核燃料をそのまま地下に埋める直接処分と違い、使用済み核燃料を再処理して、半減期が長いウランとプルトニウムを回収して再利用するので安全性は高い。残りの高レベル放射性廃棄物をガラスに混ぜて封じ込め、円筒形の厚さ5mmのステンレス容器と分厚い鋼製容器に入れ、放射能が減衰するまで、周りを防水粘土で固めて数百メートルの地下に隔離する。」
?(地層処分の)「安全性の評価では、古代遺跡からの試算で鉄容器の1千年の腐食量を32mmと評価。鋼鉄容器の厚さは19mmあるので、筆者は十分に持つと思うが、評価では控え目に1千年以上持つとしている。」
?「地下では地震の影響は小さく、仮に倒壊しても隔離に問題はないはずだ。地震と火災流で埋まったポンペイ遺跡では2千年もの間、人の形まで保存された。」

「自動車」が進化を遂げてきたように、「発電機」は進化を遂げる。
ある目的のための技術が実用化し製品化する中で、機械であれ、薬品であれ様々な方式・原理によるものが発案され、試験され、様々な実用化テストを経て、特定の方式が生き残り、他のものは淘汰される。駆動装置なども様々な原理が理論的には考えられる中で、安全性、経済性などから淘汰され、現在採用されている方式が絞りこまれている。
「自動車」といいう概念は、「発電機」という上位カテゴリーに相当する。
たとえば「自動車」には様々な設計、走行原理が考えられる。しかし、欠陥のある方式は捨てられ、他の方式が生き残る。ロケットエンジン蒸気機関による自動車は見かけない。1970年頃の未来本にある「原子力自家用車」など売っていない。
「発電機」は発展する。その中で、「原子力の熱で水を沸騰させてタービンを回す」という方式のものは、今回の事故で、非常に高コストで安全性に不安を抱えており、廃棄物処理先が確保されていないという問題が露呈した。
発電機は今後、様々な原理のものが進化を遂げる。このため、「原子力発電」という技術方式は敗退する。この状況を、発電手段全般への技術視野を持たない、「原子力」の専門家である宮崎氏は理解できていない。「新しい原発だけが新しい発電機ではない」という基本的なことが理解できていない。
もはや、再生可能エネルギー燃料電池コージェネなどによる発電コスト、省電力によるネガワットが、原子力による系統電力の「発電コスト+社会コスト」に対し優位だということが明らかになってきた現在、エネルギー市場は、たとえ、原子力専門家が安全な次世代原発新設を売り込んでも買い手がつかない。このように将来性の無い技術に、市場も社会も、新規投資の意欲はもたない。
今後、新たな発電機を設置する際、SOFC(トリプルコンバインドサイクル)から再生可能エネルギー燃料電池など様々な選択肢がある中、民間企業が、原発を選択する理由が無くなってきた。
よって、新規原発は新規の発電設備として選択されないので、現存のものが今後10年レベルで寿命を迎えて廃炉となっていき、原発が無ければ、核燃料サイクルの「供給」と「需要」というもの自体が成立しなくなる。
※現存原発の再稼働は、原価償却するまで使いたい、資産としておきたい、動かしても止めても固定費が発生するという、企業の決算、経理上の電力会社の都合が主な主張要因である。

百年、千年と、自分が関わってきた「高速増殖炉と再処理で核燃料を増やしながら使用する方式」が、エネルギー供給技術、発電手段として競争力を持ち続けると思いこむ自信は、他の発電手段の開発状況とエネルギー市場価格の先行きについて素人にすぎない宮崎氏の幻想にしか過ぎない。
彼の主張する「方式」の開発は、もんじゅだけでも一兆円以上を費やし、50年かけても実現していない。その間に、他の「方式」が次々と台頭している。
技術開発の投資先として彼の主張する「方式」の将来性に優位性があるだろうか。
その開発費は「他の方式」の開発者に投資するべきだと思う。

??について、彼は何年間程度の安全維持を考えているのであろうか。
放射性廃棄物が無害化するのは千年単位ではない長期のものである。
また、これを百年、千年と続けると、廃棄物の量は増え、受け入れ先を増やさなければならなくなる。既にあるものは、安全な方法を探して「処分」せざるを得ないが、これを増やし続けるという国家、地球レベルのリスクと負担の増大は避けるべきだ。

?については、原子力技術者が、原子力以外については素人であることを考えなければならない。学者・技術者は、自分の専門領域外のことについては素人である。「原子力」の専門家である宮崎氏が、地中の金属の腐食や、地学について、すぐれた知見と想定力を持っているとは考えにくい。?で彼が持ちだす古代遺跡での「想定」は、あくまで現在残っている遺跡についての保存状況についての「想定」に過ぎない。1千年の腐食量32mmという想定は、現在の残存している遺跡についての事例から割り出したものにしか過ぎない。
残存じている古代遺跡は様々な条件が重なって一部が現在まで残っている。
その残ったケースから想定を行うというレベルで事例サンプルを集めている。
調査は、サンプル抽出の妥当性、母集団の妥当性など、非常に、注意を払わなければ誤った結果が出てくるものであり、また、その推計結果は、統計的には平均を中心にある範囲に分布するかもしれないが、現実的には、他の要因によって分布の様相は簡単に変化することはマーケティングなどに関わった方なら容易に想像できるだろう。
古代遺跡では、残っていないものが多数ある。
河川や地下水の流れの変化、例えば河川の浸食や流路の変化で、遺跡の土地自体が失われている例などもある。海水や地下水の塩分や酸性物質により、通常よりも早く腐食が進むケースもある。マグマの上昇だけでなく高温の温泉の上昇、地熱による変成などが深い地下で発生することも多い。
地下鉄や井戸などの掘削などで人為的に掘り返されるケースもある。
地下水の動きは、地表に流れででこなくてもそのまま海洋へでるなど、なんらか循環している場合が多く、想定は難しい。
地震の揺れ自体は地下では小さいが、地層のひずみ、断層ズレなど、地下での圧力変化や破断などは起こりえる。

地震と火災流で埋まったポンペイ遺跡では2千年もの間、人の形まで保存された。」と宮崎氏は例をあげているが、ポンペイ遺跡のような理想的な形で2千年保存された遺跡は、世界に少なく、河川の浸食や地滑りほか様々な地形変化で失われた遺跡がきわめて多いのが現実である。例にあげたポンペイ遺跡にしても、地下に埋もれて永遠に人間の目に触れることなく残った例ではなく、地上に堀り出されてしまった例です。

核燃料サイクルの机上論で地位を得てきた学者は、潤沢に研究費を得ての自分の研究開発分野に固執し、自らの率いる研究組織の自己保存のために、セラフィールド、スリーマイル、チェルノブイリ東海村、東電福島原発と続いてきた原発関連事故の現実と、原子力を過去の技術に追いやる様々なエネルギー技術の台頭から目をそむけている。

2重奏曲のスペイン初演

マドリッドで9月20日に「ヴィオラとチェロの為の2重奏曲集」 作品78が スペイン初演されました。演奏は、duo Salva. (Vc.:Pablo Moreno Sanchez Vla;Pablo Salva Peraita)というデュオ。難曲のこの曲を急遽取り上げるデュオとなると、かなりの名手達かと想像。もともとヒンデミットを演奏する予定を直前に曲目変更したそうです。
会場は、マドリッドの街中にあるオリーブ園で、夜のオリーブ園の野外コンサートという、ちょっとかわった会場のようです。
http://www.fundacionolivardecastillejo.org/index.html

会場はこんな場所
http://www.fundacionolivardecastillejo.org/olivar_imagenes.html

演奏したPablo Morenoさんによると、1曲ごとにお客さんが盛り上がり、完全な成功だったそうです。

2013年3月17日東京で鍵ハモトリオ

川村龍俊さんから、
WINDS CAFEのお知らせをいただいた。
2013年3月17日に野村誠さん達の鍵ハモトリオ。

以下、川村さんからのお知らせそのまま。


● WINDS CAFE 195 in 西荻窪 ●

メロディカ・サミット2013】

野村誠(鍵盤ハーモニカ奏者、作曲家)
渡邉達弘(打楽器奏者、作曲家)
橋本知久(時間芸術家:作曲/振付/演出)

2013年3月17日(日) 午後2時半開場

TORIA Gallery トリアギャラリー 東京都杉並区西荻北5-8-5

入場無料(投げ銭方式) 差し入れ大歓迎!(特にお酒や食べ物)

※出入り自由ですが、できるだけ開演時刻に遅れないようご来場ください。

14:30 開場
15:00 開演
17:00 パーティー+オークション

▼プログラム

Gardika Gigih Pradipta:Melodi di Kampung
Michael Parsons:Rhythmic Canon
Andrew Melvin:Carillon Sec
Hugh Nankivell:Goat Music
中村典子:雛翠 Baby Green
橋本知久:新しい人のためのファンファーレ
渡邉達弘:野菜スープの作り方
野村誠:No Notes 5
近藤浩平:南の島の3人の男
木山光:曾根崎心中
ほか予定

▼川村からひとこと

 2008年11月に WINDS CAFE 143【Melodica Summit in Tokyo】を大盛況の大成功に導いた野村君。現代の作曲家に鍵盤ハーモニカトリオのための小品を委嘱し続けるプロジェクトはその後も順調に継続され、今や世界中の作曲家にとって鍵盤ハーモニカは重要な楽器と見なされているに違いありません。

 2010年6月には WINDS CAFE 162【Melodica Trio Collection 2010 〜鍵盤ハーモニカで綴る現代音楽〜】を開催。その時点で2013年にはまたやってくださいと約束したその日が、まさに訪れようとしています。

 上記2回の WINDS CAFE 鍵ハモ公演メンバーであり、2011年9月には WINDS CAFE 177【小さな音の小さな音楽会 〜渡邉達弘・小物楽器作品集〜】で全曲自作演奏を行ってバカ受けした渡邉達弘ももちろん今回の演奏者の一人として再々々登場。橋本知久さんは初めての参加ですけれど、なみなみならぬ経歴の持ち主とお見受けしました。

 乞う、ご期待!

野村誠君からの手紙

 皆さん、お元気ですか。作曲、ピアノ、鍵盤ハーモニカの野村誠です。

 2010年にウインズカフェで演奏して以来の登場ですが、あの直後(2010年〜2011年にかけて)、インドネシアに1年暮らしておりました。

 色々な出会いや刺激がありまして、1,700人で上演する曲を作曲したり、石だけを演奏する作品を作る Memet Chairul Slamat や、1990年生まれの若い作曲家で、鍵盤ハーモニカ奏者でもある Gardika Gigih Pradipta をはじめ、ユニークな作曲家との交流が多かったです。

 今回は Gardika Gigih Pradipta の新曲を演奏するだけでなく、インドネシアでの数々の体験談も織り交ぜながらのコンサートにしようと思っています。

 昨年は、2年ぶりにイギリスにも行ってきました。スクラッチ・オーケストラの創設メンバー Michael Parsons 宅に泊まり、近況を報告し合いました。イギリスのセラフィールズの原発事故の時にも政府は色々と隠蔽したと言っておられました。

 スクラッチ・オーケストラの精神を持って、実験音楽を作曲し続けているマイケルの作品も少しご紹介すると同時に、ポスト・スクラッチ世代の英国作曲家の即興と作曲を巡る実験も、ご紹介できればと思います。

 Andrew Melvin の「即興と作曲」に関する博士論文が非常に面白く、Miles Davis、Peter Wiegold のアプローチを検証、考察しており、野村誠の仕事についても取り上げてくれています。アンドリューの即興の要素を含むノーテーションの新作も演奏してみようと思います。

 また、今回は身体と音楽の関係を巡って探求を続ける橋本知久氏にも初登場いただいたので、身体性を伴う作品も取り上げたいと思っております。

 中村典子さんのエネルギッシュな傑作、木山光さんのスピード違反な気迫、近藤浩平さんの様々な南国の合体した音楽なども加えて、お楽しみ下さい。

▼プロフィール

●橋本知久(はしもと・ともひさ):アトリエ・ラーノ代表。時間芸術家(作曲/振付/演出)。国内外のアーティストとの共同制作多数。
2007年からオランダに渡り、作曲とダンスを学ぶ。オペラ『胡蝶の夢(2011)』など発表。「境界線」をテーマに音楽とダンスを主たるメディアに音楽劇、屋外パフォーマンス、インスタレーション、映像や舞台の音楽制作まで幅広い領域で活動。ハーグ王立音楽院修了。2012年帰国し、表現のための学びの場「アトリエ・ラーノ http://www.atelier-rano.jimdo.com 」を神奈川県相模原で設立。
http://www.ne.jp/asahi/tomo9/art/

●渡邉達弘(わたなべ・たつひろ):打楽器奏者・作曲家。打楽器を有賀誠門、新井汎に師事。日本大学芸術学部音楽学科卒業、同大学院修了。在学中にソリストとして定期演奏会に2度出演。カザルスホールでの修了演奏会に出演し、澤本徳美賞を受賞。
作曲はほぼ独学で、近年は小物打楽器のアンサンブルを多数作曲。マリンバなどの打楽器作品と共にブルーマレット等にて販売されている。音楽ユニット「即興からめーる団」主催の『うたの住む家プロジェクト』に参加。現音アンデパンダンにおいて近藤浩平作曲「ヴァイオリンと打楽器の為の協奏曲」を初演(打楽器)。JFC作曲賞選考演奏会において宮内康乃作曲「mimesis」を初演(鍵盤ハーモニカ)。
またWINDS CAFE 177では「小さな音の小さな音楽会」と題して全曲自作自演の小物打楽器と鍵盤ハーモニカのコンサートを開催。打楽器アンサンブル「どってん博物館」副館長。
http://bob.suki-ari.net/

野村誠(のむら・まこと):1968年名古屋生まれ。80年代後半より共同作曲を追求。90年代に入り、鍵盤ハーモニカの探求を開始。
2006年、尾引浩志口琴、イギル、ホーメイほか)、片岡祐介(木琴ほか)と、「あいのてさん」を結成。2011年より10年間に渡り、「あいのてさんワールドミュージックフェスティバル in 小金井」を開催する予定。
2012年に、老人ホームのお年寄りから戦後の復興について取材してドキュメンタリー・オペラ「復興ダンゴ」を作曲。
京都に移住したアーティストの職さがしプロジェクトを開始。京都市左京区に住む川手直人(ギター)、片岡祐介(木琴/鉄琴)、やぶくみこ(パーカッション)と「かかのや」を結成し、左京区内のカフェを中心にライブ活動中。
2012年の夏、国際芸術センター青森にて3ヶ月の滞在制作を行い、40m×8mの5線の畑「音楽畑」を開墾し、大根、ジャガイモ、モロヘイヤ、ツルムラサキ、キャベツ、レタス、キュウリ、ラディッシュ、トウモロコシほか、様々な野菜を育てて、野菜による楽譜を育て生活する。また、根っこ+ピアノによるインスタレーション「根楽」、レタス+ピアノによるサウンドインスタレーション「レタスピアノ」を発表。
「千住だじゃれ音楽祭」監修。2013年4月から7月にかけて、インドネシアとタイで「原発」をテーマに現地の作曲家やアーティストと話し合い、共同作曲を行う予定。
http://www.makotonomura.net/

Marilyn K. Clark Silvaさんの演奏

ミネアポリスマリンバ奏者、Marilyn K. Clark Silvaさんが、私の「ヴァイオリンとチェロのための3つの小品」作品96を、ヴァイオリンとマリンバにアレンジして、アリゾナ州立大学で演奏した模様をYouTubeで送ってくださったので公開します。WebサイトのPDF楽譜を見つけて演奏されたそうですが、この曲の日本の野山の抒情を的確につかんでいます。

Tandem Duo performs the first movement of Three Pieces for Violin and Cello by Kohei Kondo. Transcribed for marimba/violin duet. November 2011 at Arizona State University.

第1曲

第2曲

第3曲