国母選手への謝罪強要事件での競技団体とメディアの責任

一連の騒動の発端となったスキー連盟やJOCの危機管理の失態やメディアの不適切な誇張報道は不問のままで良いのでしょうか?
責任を問わなくて良いのだろうか?

そもそも、発端は、テレビで移動中の着こなしを見て不快だと批判した数100から1000件程度の数の苦情メールと電話にスキー連盟が過剰反応し、マスメディアが「苦情殺到」と誇張報道をおこなったことに問題がある。

テレビというのは、そもそもものすごい人数の人口が見ている。
1億人の人口の中で、1000件ということは、実は、10万人に一人の人が、国母さんの服装が不適切だとしてクレームを入れたというパーセントに過ぎない。もともとは10万人に一人にしか文句を言われない程度の着こなしだったわけです。

実は、数百や千件程度という数字は、テレビ局が流す行儀の悪い番組や、意見の分かれるオピニオン番組や報道番組、アクの強い笑いの娯楽番組を放送した時に、テレビ局に入る「あんな低俗番組はけしからん」というお叱りメールの件数よりもはるかに小さい数字にしかすぎません。
しかし、テレビ局は、その程度の苦情は無視して処理します(当然の対応)。

個性的な表現、新しいものが、一億人の目に触れた時に、気に入らないと批判し嫌悪する保守的な人達の数として、当然予想できるレベルの割合にしかすぎません。
また、苦情のうち多くは、感情的な嫌悪感を言うレベルのものであったといいます。
国母選手批判の匿名ネット騒動の書き込みには、国母選手のドレッドヘアやヒップホップ風のアレンジに、黒人蔑視、マイノリティ差別の感情から嫌悪しているレベルの醜悪なものが多数見られました。
世の中には、日本も徴兵制を導入して若者に軍服を着せて鍛えろという意見を持つ人さえいるのです。

世の中には、その程度の不寛容で排他的な感性の人達は、その程度の割合で普通に存在しているのだということを、競技団体やメディアは理解した上で対応しなければなりません。

今回、スキー連盟の会長なども不快感に同調していましたが、これは明文化された競技・参加ルールへの違反への審判ではなく、公人なのに個人的感覚での好悪を発言していて問題だと思います。
彼の服装が「礼節」「公人」に反すると断定する明確な規定はありません。
責任と権力をもった競技団体の役員が、このような主観で判断の変わる部分で、一人の選手を処分するという対応は、
責任ある組織の責任者、権限を与えられた公的な組織の公人の行動として、
不適切であったと考えられます。

騒ぎを大きくした競技団体やメディアの不適切な対応の責任は、
このまま、うやむやになって問われないままで良いのでしょうか?

競技団体やメディアの対応が不適切だと思われる方は、
これら公的な団体に対して、堂々と抗議のメールや電話を入れておくべきかと思います。


服装が問題ではなく、反省に感じられない謝罪の態度が問題だという人が多いですが、
そもそも、最初の着こなしが悪いと断定することができず、強制的に反省させる理由、謝罪する理由がないとすれば、
根拠なき謝罪会見の態度が悪いと批判する根拠はありません。
強制的に屈辱的な謝罪や反省会見をさせるという失態を行った競技団体の責任、さらにそれに同調したメディアの責任が問われるべきかと思います。



「あなたが計ったその秤であなたも計られるであろう」