国母和宏選手への謝罪強要事件

国母選手の演技は美しかった。

さて

彼のルールやマナーに反していると批判している人がいたわけだが、 そもそも私は、彼の服装は、ルールにもマナーにも礼節にも反していないと考えている。 あれが、ルールやマナーや礼節に反していると判断する人と、 反していないと考える人では、そもそも「常識」が異なるわけだから、 常識に反するかどうかで議論しても、会話が成立しないだろう。
選手団の規定というものがあるが、実際の条文は、きわめて抽象的なものにすぎないので、彼の服装が、そもそも違反であると客観的ぶ判定することはできない。


ルールやマナーに反する=非常識、礼節、責任感に欠ける、迷惑をかけるから良くない
というのは普遍的な倫理ではあろうが、
何がルールでありマナーなのか、礼節なのかの基準は、個人によって異なるし、
彼の服装が、万人の好みに合わないからといっても、迷惑をかけていることにはならない。
特定の人達の常識を他人に押し付け強要する人達のほうが非常識で迷惑であるから、ルール、マナーと、他人の価値観への尊重と敬意に欠けていて礼節に欠けていると考える。


服装は個性としてかまわなかったが、謝罪がなっていなかったと批判する人は多いが、そもそも出発点を考えるべきだ。
彼の服装は、そもそもルールやマナーや礼節に反していると断定することができないので、彼は、反省する理由がない。
彼の服装は、きっちりあらかじめ定められた客観的ルールへの明確な違反であると客観的にジャッジできないので、反則とは判定できないから、彼を処分しようとしたスキー連盟の強権発動は根拠がなく間違っていた。

世界的な選手への屈辱的謝罪強要、反省の強要というのは、これ以上ない礼節と敬意に欠ける行為であった。



そもそも無実の罪で謝罪させられているのに、 反省の態度がなっていないと批判されたのだが、
目の前の出場と、周囲の人々の為に、ひとまず処世を受け入れた彼の最終判断は、立派な大人の我慢であったと思う。




特定の人達の個人的常識を他人に押し付け強要するマスコミの非常識で礼節を欠いた記者達は、まことに「うるさい」人達であった。


彼は、世界で称賛される国際的スポーツ選手であり国際人だが、日本を代表して国の為に戦うために出征する日本軍兵士としては軍服の着用方法がよろしくなく、軍部と大日本婦人会には不評だったわけだ。


このような素晴らしい国際人でありスポーツのアーティストでありながら「兵隊」には向いていない彼のような人達が私は好きである。
世界が、このように「兵隊」としての適性のない人達ばかりであることは「平和」への道であると思う。


私の作品に「ふがいない戦士達」というタイトルの曲がある。
これは、世界の平和を願う作品だ。
世界中の人達が、特定の国の「兵隊」としてはふさわしくなく、戦争に向かない国際人(=ふがいない戦士達)ばかりになれば平和が実現するというコンセプトのタイトルだ。

国母選手は、日本選手団としてユニフォームを着て、日本人であることを拒絶しないで受け入れるおおらかな広い郷土愛もあり、軍服かサラリーマン戦士のスーツのように見えないように着こなしの工夫を試み、従属的・権力迎合的な根性からも自由でいられる人物。
アフロ系の人達のスタイルに由来するドレッドヘアを何の偏見もなくレスペクトして、素直に自分のスタイルに取り入れるような彼は、人種やマイノリティを差別をする人達の醜さ、あるいは社会的な立場、経済力による差別をするような醜い連中とは大違いである。
彼は「ふがいない戦士達」の一人だと思う。



追伸
試合が迫ってからの日本のマスコミの護身はみっともなかったな。
彼の実力と魅力を知った人達から、一連の無責任な報道へのクレームが殺到することを恐れたか。