今後の国母選手への期待

国母選手には、自分の言葉で自分のファッションを擁護して偏狭な人達から自分のスタイルを守る主張が出来るよう言葉の力を磨いて欲しい。
主張があるのなら記者会見、言葉のやりとりは正面から勝負しなければならない。
自分にファッションとその主張について、はっきりとその価値観と美意識を言葉で伝えられなければならない。
自国の競技団体と自分の意見が食い違うなら、それを日本語と外国語で発信して議論の対決をできるくらいの知性があれば渋いが、あれでは、主張なくだらしない格好だと言われっぱなしで、論戦は不戦敗だ。

たとえば、メディアや競技団体が逆に追い込まれるような理論武装をしてから、自分のファッションを貫けばよかった。
「私のファッションは、アフロ系、カリブ系ファッッションやヒップホップやマイノリティカルチャーへの自分なりのレスペクトの表現であり、それを乱れと受け止められた方々に、こうしたファッションを差別し軽蔑する心が見られたことは残念です。そこには人種差別意識、マイノリティへの差別意識と同質のものが感じられます。
冬季五輪には、アフロ系の人達やマイノリティの人達の参加が非常に少ないことは問題だと感じています」
「私のファッションは、ナチス全体主義的制服から最も遠い着こなしと、日本代表として誇りを持ってユニフォームを着ることの両立を表現したものです。
自国の代表選手に軍隊的な統一感を期待される方々に不快感を与えお騒がせしました。」
「私があらかじめ受け取った五輪選手としての規則には、競技場外、式典時等以外の移動時のユニフォームの着用について、ネクタイを緩めてはいけない、シャツをズボンの外に出してはいけないという明文化された規定は見当たりません。」
「私を励まし応援してくださった世界中の人々に感謝します」

とでもズバッと言えるくらい、彼がちゃんと自覚と主張をもった個人として信念をもってあの着こなしを主張していたらどういう反応になっていただろう。
彼の着こなしは、単なるルール破り、だらしない無自覚な我儘ではなく、彼の生き方、メッセージの表現として、是非を論議されるものになったかもしれない。

議論力、言葉の力を身につけて、相手の反応をよく考えて対策をとり、自分の生き方を強靭に表現できる人になってほしい。



普段の大会では、何の問題にもならなかった彼のファッションが、何故、オリンピックでだけこれほどバッシング対象になったのか。
オリンピックが他の大会と違うところは、とくに「国家」というものが付いてまわっているということのように思います。
国別のメダル数で国威を競う近代国家の愛国心発揚の場。
彼はその特殊性の怖さへの警戒心がなさすぎたように思います。
世界中から個人選手が集まり、そのスポーツ自体に興味を持つ人達だけが観戦する競技大会ではなく、国の代表として、もともとそのスポーツに興味もない人まで含めて、国と国の競争を任務とする戦士として選手を見ている人達もが応援する特殊な大会なのです。
だからユニフォームは自国軍の制服であると考える厳格な人達がたくさん見ている。
国母選手は、世界のボーダーとプレーを楽しむ国際的スノーボーダーとしてトップクラスだが、日本の兵士として出征するにはふさわしくないとたたかれたわけだ。



本来、一人の選手の着こなしへの好悪で、ここまで騒ぐこと自体がおかしい。
ユニフォーム・制服を神聖視する意味もない。

たかだか、日本中で数百や千レベルの抗議メールが最初に来ただけで、慌てて問題を大きくしてしまった連盟の危機管理も失敗ではないだろうか。
しかもそのメールの多くは単なる感情的嫌悪感のレベルのものだったのではないか。

一億人の中からの数百や千レベルの抗議メールなど、好悪の別れるテレビ番組や、政治オピニオン番組、ちょっと刺激的なCMなどでも、よくあるレベルの数だと思う。

日本の恥などと言う人もいるが、海外の報道を見ると、むしろ、この程度のことで騒ぐ競技団体と日本のメディアに呆れた感を見せているようだ。




オリンピックが他の大会と違うところは、とくに「国家」というものが付いてまわっているということのように思います。
国別のメダル数で国威を競う近代国家の愛国心発揚の場。
彼はその特殊性の怖さへの警戒心がなさすぎたように思います。



現時点での彼の対応としては、
団体の偉い権力ある人達は、見栄と体面と護身が大切なので、
直接の対決をすると意地になって、本当に出場を辞退させる強権発動をしたり、今後の競技生活で不利が生じたりするリスクがあったでしょう。

本人が、そこまでのリスクを負って、競技団体との正面対決になりかねない自己主張の言葉を発するのは立場的に難しく、周囲の世話になった人達にも大きな負担を負わせて巻き込んでしまい、競技団体内にも軋轢を生むことにもなったでしょう、
だから一旦、無難に処世してやり過ごすのは、彼の現実的な大人の対応だったと思います。

彼に失礼なことをした人達への批判は、一旦、第3者がするほうがよいかと思います。
ご本人には、自分の立場が強固になった時を見計らって、言いたいことを言ってくれれば良いですね。