南アルプス 早川尾根

7月16日 武蔵小金井でのIn the Mistsを聴いた後は、中央線に乗車。途中の駅まで、来聴いただいた作曲家の鶴原勇夫さんと久しぶりにお話する。
八王子のホテルに泊まり、17日は雨の中、中央線の普通列車甲府へ。
勝沼のぶどう畑の緑が濃い。甲府の手前では、桃がなっているのも見える。
バスで広河原、さらに乗り継いで北沢峠へ。小降りだが雨が時々降る。大樺沢の雪渓がかなり上まで見えるが、すぐに雲が下がってくる。
北沢長衛小屋泊。こじんまりした小屋。宿泊は10人ほど。
18日小雨 直登コースを栗沢山へ、南アルプスらしい樹林帯は意外と早く抜け、ガスと雨でなにも見えない山頂へ。所々、濡れた岩を越えて、メインコースのわりに目印の薄いルートをアサヨ峰へ。
風雨は強くはないが、何も展望なし。山頂で雷鳥に出会う。山頂から尾根の方向が変わるが、ガスだと迷い込みやすいという支尾根はなるほど入り込みやすい地形だ。この尾根の入口に雷鳥がいた。
森林限界すれすれを上り下りしつつ、早川尾根小屋へ。
土間を囲む広間一つで、食堂や談話室や売店などはない昔ながらの山小屋。
この日の泊まり客は9人ほど。土間にはストーブ。
この小さな小屋で、美味しい食事を出してくれるのは有り難い。小屋の前には冷たい雨なのにテントが5張ほど。
小屋泊まりよりテント泊の人が多いくらい。稜線だが樹林帯で水場もあるので幕営には条件は良いだろう。
19日 天候回復せず、雨が降ったりやんだり。広河原峠から下ると、峠から2時間ほどで広河原のバス停に着く。
奈良田へ行く9時台のバスに乗り奈良田で温泉に入り、資料館と白籏史朗記念館を見る。
里の温泉は木の浴槽で、とろりとした透明な湯。建物も昔の建物で雰囲気がある。風呂から見える紫陽花が鮮やか。
資料館へ行く坂の横には立派な山ユリが咲く。
資料館は奈良田の焼き畑などの道具や映像があり、見応えがある。昔の人は、ほんとうに何でも出来て生活技術がある。現代の都会人は、身の回りのものが何も作れない脆弱な存在だ。
白籏史朗の写真館は、ヤマケイなどで長く見てきた正攻法の写真が並ぶ。本人監修がいきとどいていないのか、写真と説明の地名が食い違っていると疑われるものが2点ほどある。
仙丈岳としながら、どう見てもアルプスの本物の氷河と尖峰群でモンブラン近辺くさいもの1点と、鳳凰三山薬師岳直下と書いているが、地蔵のオベリスクの位置から観音岳の北側の直下からと見られるものが1点。
バスで身延へ。
身延山久遠寺へ向い、ロープウェイで山頂へ。だんだん晴れてくる。
富士山の笠雲が、まるで三角の白い帽子をかぶったようだ。山頂の裏手に廻ると笊や七面山が見えた。南アルプスの主稜線は雲の中だが、日が射し込んできて逆光の中、印象的な陰影。観光客の女の子達が、笊や七面山の霧と斜め光線の渋い山岳風景を「これ、やばい やばい」と感激しながら携帯で写真に撮っている。この子達は、帰路も富士山の笠雲に感激しまくっていた。
ロープウェイの駅でだんごを食べた。
身延山久遠寺の建物は、非常に大きいが、京都や奈良の寺を見慣れた目からすれば年代も新しくて、現役の宗教施設の建物群の空気がただよっている。
白装束の参拝の人達が沢山いて法華経を繰り返し唱えている。
生きている宗教だ。
天理のように、信者でない人には居場所の無い圧迫感を感じるというほどではないにしても、やはり京都や奈良の観光名所、文化遺産として眺める寺ではない。
バス停近くで西瓜を食べ、駅への路線バスに乗り込むとまた雨が降ってきた。
身延線から富士、清水へ。富士駅へ下っていく有名なカーブからは笠雲を被った富士が見えた。
清水駅近くのホテルビスタに泊まり、近くの店で、魚を食べた。
20日清水港で、贅沢丼を食べてから青春18切符で大阪へ。