阪神大震災から17年

阪神大震災の時は、たまたま、仕事で広島にいた。実家には2日間連絡がつかなかったが無事だった。
16日は宝塚にいて、普通なら月曜朝早朝5時台に広島へ向かうのだったが、この時だけは、風邪気味だったので日曜の夜の新幹線で広島へ向かった。
当時住んでいた広島から、姫路まで来て、播但線に乗り換え、和田山で山陰線に乗り換え、福知山で宝塚線に乗り換えて宝塚にたどり着いた時の、あのブルーシートに覆われた屋根が並ぶ風景は鮮明に覚えている。
西から三宮までJRが開通した時は、三宮から実家まで歩いた。

1989年のサンフランシスコ地震で高速道路が倒壊した際、日本の政府や企業やメディアや専門家が、日本の高速道路や新幹線は強度が全く違うのであのような崩壊をすることは無いと断言していたのを鮮明に覚えていたが、この阪神大震災の際に、実家へ帰りつく途中、目にしたのは、倒れた高速道路、転がる建物、落ちた新幹線の高架であった。
この時、専門家や企業や行政が「日本は安全」というのがいかに信用できないことか理解した。
チェルノブイリの事故の際も、同様に「日本は安全」であった。

「専門家」が言う想定内での安全は、和声の教科書の中での和声進行のようなものなのだろう。

阪神大震災では、多くの人が亡くなり、街並みが消えた。
今では、空き地や駐車場が増えたり、マンションなどが新しく建ったので、一見なにもわからない。
しかし、あのあたりにあった家に住んでいた人はどこへ行ったのだろう。