横浜へ 鹿嶋へ 2つの初演

今日2011年8月20日19時半からは横浜の新港ピアで、野村誠友部正人さんのコンサートがあります。
野村誠さんは自作自演が中心。
私の「海辺の祈り〜震災と原子炉の犠牲者への追悼 作品121」鍵盤ハーモニカ版初演もあります。
また明日2011年8月21日は鹿嶋で、智内威雄さんが左手のピアノの為の、
「海辺の雪〜震災と津波の犠牲者への追悼 作品122」を初演します。


目先の売上の為に原発を容認する小サラリーマン達の国。原発維持による損失の将来にわたる累計計算もできず、電力自由化やエネルギーシフトによる変化と新市場の出現をとらえたビジネスのビジョンもビジネススキームも思考できない小サラリーマン達。
数十年のスパンで考えた際、いかに事故の確率が高いかに目をつぶるリスク判断の甘さ。「危ないな」と思いつつ、誰も言いだせない。天候悪化の兆しを見ながら見かけの晴天のなか遭難に向けて出発し、引き返す勇気のない登山隊のようだ。

エネルギーを輸入に頼らない為に、食料の自給を崩壊させる原発を利用するというのは奇妙な話だ。
原発により、日本の農業、畜産、水産など第一次産業が、国際的競争力を失い、国内市場は輸入品におされてしまうという事態が現実となっている中、原発を止めると産業空洞化するぞと叫んでいるのは第2次、3次産業のとくに重工業や化学メーカーの経営者達だけである。原発事故による被害は、第1次産業から、食品メーカー、食品流通、外食産業へと広がっている。

電力自由化になり、PPSなど新規発電や、常時使用用自家発電設備などが小口事業者や個人で契約選択できるようになれば、顧客獲得競争が生まれ、電気料金は下がり、顧客獲得への宣伝合戦になるだろう。メディアの収益にとってもプラスになることだし、エネルギーシフトへの投資により、設備メーカー、電機メーカー、住宅メーカー、素材メーカーさらに自家発電機を扱う流通まで、ビジネスチャンスを得るところは多い。
既存電力会社と、その取引先のうち、既存電力会社へ納入している部署だけが、この変化を恐れる理由がある。

再生可能エネルギーや、太陽光やガスの自家発電は、火力や原子力の系統電力よりコストが高いと、既存電力会社が計算している。
しかし、現在のようにこれらの市場が制約が多く、市場規模も限られていても、コストが倍もするわけではない。
再生可能エネルギーで、何か、未来的な圧倒的なブレークスルーがなければ、低コストな再生可能エネルギーや自家発電や蓄電は不可能であるかのように既存電力会社とその周辺は言っている。
しかし、コストというものは、様々な要素でできている。
航空運賃の例でみれば、昔はJALANAの正規運賃は高かった、国際線もずいぶん高かった。
にもかかわらず、現在では、JALANAで東京、大阪間は、新幹線と変わらぬ運賃であり、同じ機種で同じ速度で飛行する機体を運航する格安航空会社もある。
ということは、たとえ、少々、太陽光パネルや風力のハードのコストが高めでも、既存電力会社とは異なった企業が異なったビジネススキームで運営すれば、価格は大幅に下がる可能性があると考えられる。

しかし、それ以前に、既に、日本の電力需要は減少へと向かっている。
人口は減り家庭の電力消費は減少する。企業の設備の省電力化はさらに進むだろう。
すべての照明、街灯などが急速にLEDに置き換わっていくなど、機器の省電力化は進む。
今回、無駄な照明や空調などのコストを見なおした企業や家庭の多くでは、これが「削れるコスト」だったことが判明して、節電した需要は回復しない。今、照明を減らして経費節減した企業が、節電要請なくなったからといって、また元に戻すであろうか?
電力会社が原発のコスト増大を電気料金に転嫁すればするほど、既存電力会社離れが起こり、PPSやガスや燃料電池へ客が逃げる。
既存電力会社が必要とする供給能力は、近い将来、何割かダウンし、ちょうど原発分程度が余剰となるだろう。

原子力ムラという特別なエリアがあるのではなくて、実は日本が原子力国になっている。あなたがいる場所に原発を話題にできない雰囲気があるとすれば、そこは原子力ムラの一角ということである。