原発の子供

子供は親の立場を擁護しようとするもの。「お宅の息子さんは反原発をテレビで言ってましたよ」と親が勤め先で言われる怖さを子供は知っている。
それをわかっていて、子供は原発賛成の意見だったと利用するこのフジテレビ系「特ダネ」の無神経さ。
子供から、親の仕事の社会的意味を否定するようなコメントを言わせようとしたとすれば、残酷であるし、理性的に原発事故の重大さを理解している子供を、それを言うべきか言わないかという葛藤の辛さに追い込むことも残酷である。
子供達は、もし、このような人目に触れるところで原発の危険についてモノを言えば、原子力関係の仕事をしている親がどのように追い込まれ、家庭内のタブーに触れ、原子力関係者が多い近隣社会の中でどのような軋轢が起こるかという怖さを知っている。
周りの誰をも傷つけないよう慎重に言葉を選ぶ子供達を見ていると、なんと、人の生活や痛みや葛藤や立場が理解できない制作者達だろうかと怒りを感じる。

まるで、政治的な自由のない全体主義国家に取材に行って子供達に、政治に不満を感じないか質問するような無神経さのテレビ番組である。そのような国で、子供が国家批判を海外メディアの取材に答えたら、親や教師や周りの人達に、どんな危険が及ぶか子供達は知っているものである。

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あまりに厳しい記憶や現実を人は無意識に封印して、心を守る。
子供達が、家族の仕事を否定せずに、前を向いて生きていき、発電所で働く関係者自身も自己否定せずに、仕事に誇りを取り戻すためには、どうすれば良いのか。

それは単純なことである。
電力会社が、原子力以外の発電所を建設して、引き続き発電事業の仕事を生み出せば良いのだ。
それは火力でも太陽光でも風力でもバイオマスでも良い。
引き続き、「電気」「発電」という仕事を誇りをもって安心して続けることができる場を作れば良いのだ。
そうすれば、子供達は、家族の「電気をつくる仕事」に堂々と誇りを取り戻すことができる。
「電気を作る」という立派な仕事をしていたが、原子力発電設備というものが危険な欠陥品で事故を起こした。
これからは原子力ではない新しい設備が入ったので、安心して心おきなく発電の仕事を続けられる。
危ない原子力発電は止めて、新しい良い発電機が入ったので良かった。
放射能による健康不安もなくなったし、原子力に反対する人達との摩擦の辛さも無くなった。
大変なことがあったが、「電気の仕事」を続けられてよかったと納得できる状況を早く作るべきだ。


しかし、原子力の取り返しのつかない部分は、廃炉作業と、永遠につづく放射性廃棄物の管理という誰も責任能力の無い重荷が残ったところにある。