廣瀬量平氏の死去

11月24日に廣瀬量平氏が亡くなった。
京都が活動拠点だった為か、京都方面で開催される演奏会では曲名をよく見かけたが、大阪でコンサートに通っていても、廣瀬氏の音楽を生で聴く機会はほとんど無かった。
これだけの大家の作品でも、オーケストラの定期演奏会の曲目にのることは滅多にないというのが実情なのだ。

廣瀬量平氏の姿は、京都・若い作曲家による連続作品展でおみかけしたことがあるが、お話をしたことはない。
廣瀬氏の音楽の影響は、京都を中心とする若い作曲家に受け継がれている。
アジアの現代音楽。日本、アジアの文化と新しく自由な作曲が自然に一体となっている方向性というものが、受け継がれている。
現在、現代音楽作曲界の主流の流行と関心が、いささかフランス、ドイツの前衛へむかうか、より現代日本の生活感を反映したポップなものへ向かうかになっているので、あまりこの流れにある作曲家諸氏が華々しく話題になることが少ないように思うが、廣瀬氏周辺の作曲家は着実な成果をあげていると思う。

廣瀬量平氏は、「日本の音楽展・作曲賞」の審査員をされていて、2008年の審査員は廣瀬氏と三善晃氏の二人だった。
廣瀬氏が審査員をした最後ということになったわけだ。
2008年は私の作品が入選したのだが、なぜ、選ばれたのか選考理由をご本人に聞いてみたかった。