ストラヴィヴァリウス・コンサート

レーザーレーサーによる水泳大会・・・ではなくて、


日本音楽財団創立35周年記念 ストラヴィヴァリウス・コンサートという演奏会を聴いてきました。
会場はいずみホール(大阪)。

トップクラスの弦楽器ソリストをずらりと集め、バッハ親子やヴィヴァルディの協奏曲、メンデルスゾーンの弦楽八重奏曲、ドビュッシー弦楽四重奏曲ブロッホの「ユダヤの生活から」、ラトヴィアのヴィートリスや、アルメニアのバグダサリャン、19世紀のヒューベルト・レオナードという作曲家の3つのヴァイオリンとピアノの為のスペイン・セレナーデという変化に富んだプログラム。

だが、日本の作曲家の作品はおろか現代作品は皆無。
「日本音楽財団」の記念演奏会で日本の楽曲が無いのはいかがなものかとは思うが、現代奏法を、これらの楽器でやられてはたまらんという事情もあるのかもしれない。
貸与楽器では現代音楽とくに現代奏法のあるものはやらせないという裏ルールがあるのかもしれない。

時間の限られたコンサートに、豪華出演者多数のガラコンサートで、協奏曲のバックのオーケストラもソリスト達が演奏するので、有名オペラ歌手達が集まって合唱しながら順番にソロをとっているような豪勢さ。

客層も雰囲気も行き慣れた現代音楽や在阪オーケストラ定期演奏会などのコンサートとは異なる。

演奏は本当に素晴らしい。これほどの演奏内容で、盛りだくさんで、しかも、協奏曲など楽章抜粋でやるものだから、「おお、まだ、その皿食べきってないのに下げないでよ」という不満を感じるほどの贅沢さ。石坂団十郎氏がソリストで、エマニュエル・バッハの協奏曲をやるのに、第2楽章だけに抜粋演奏で、次のプログラムに進むという、およそ、普通の演奏会では出演者の予算も考えるとありえない無茶苦茶な使い方。
プログラム構成も、単に有名名曲を並べましたというものではなく、ひとひねりしてある。
これだけの一流ソリストをスケジュール調整して、よく合わせの時間なども取れたものだと感心する。

だが、ここまでやると、いかにもふんだんに財力がある人のリッチな浪費という後味がでてきてしまうのは否定できない。
これだけの予算があれば、若手作曲家何人に作品発表の機会を与えられるだろうか、あるいは、再演機会のないまま埋もれかけている優れた現代作品を何曲再演できるだろうか。
音楽界の南北問題か。


楽器の値段や、有名演奏家のギャラというのは現代作曲家への作品委嘱や、作品発表演奏会への助成などより、桁違いに大きい金額である。
(私が過去に頂いた作曲委嘱料の最高額は3万円。作品初演費用への助成が最高10万円。楽譜出版は赤字、普段の作品発表は1曲あたり数万〜数十万程度の赤字。)

高価な楽器、豪華なホールに煌めくシャンデリア、おそらく高額な海外演奏家の招聘費用などを考えると、現代の作曲家というものは安いものだ。
これだけの金があれば、一体、何人の作曲家に新作委嘱して世界初演が出来るだろうか。

食べるや水にも困る発展途上国から帰国して、5つ星レストランに立ち寄ったような複雑な気分になった。たしかに、このレストランは素晴らしい。料理の文化の最高水準というものは大切だ。


しかしながら、お金のある人というのは、お金の減らない使い方をするものだ。
金持ちは賢い。
オークション会社の元社長が、楽器商の上顧客としてウインウインの関係で楽器を確保し、その楽器は、数多くの世界的な奏者に演奏されることで価値がさらに増し、楽器のメンテナンス上も、優れた奏者に借用楽器としてとくに神経をつかいつつ大切に演奏されるという理想的な状態が保てる。
このような楽器は、古くなって減価償却するというものではなく、さらに資産としても価値を増す。財団の都合で、将来、もし売却となった場合は、購入金額は回収できるだろう。
楽器の知名度と価値を維持するお披露目会としても演奏会は機能する。
上手くできている。