在阪オーケストラへの補助金問題

大阪府の助成カット問題で在阪オーケストラの存続、レベルの維持が問題になっている。
財政の問題と、文化団体の重要性の問題が、すれ違いながら、お互いに価値観の通じ合わないままの発言が行き交っている。

ところで、オーケストラというものは、それほど不経済なものだろうか?
大阪センチュリー交響楽団の問題も、たかだか、数億円である。
道路工事でいえば、ほんのわずかの単位であり、不要とわかっているダムの調査費の端数くらいのものである。必要なのかどうかわからない道路工事やハコモノなどあふれかえっている。
御堂筋で派手にイルミネーションを飾っても、夜のオフィス街なので、神戸のような観光地としての集客力が乏しく経済効果は少ない。府民が数日、ぞろぞろ集まって歩いて眺めても大した経済効果も大阪の文化情報発信にもならないだろう。ルミナリエミレナリオの三番煎じで、話題性も弱い。
御堂筋を歩行者天国にしてもイルミネーションを見に長々と歩こうとは思わない。
それなら、イチョウの黄葉の美しい季節をアピールしたほうが安上がりだ。
照明、電気工事、照明デザインに億単位で支出したら、イルミネーションの文化か向上するだろうか?大阪独自の照明技術、照明デザインをPRするとかいった明確な意図でもあるなら意味があるが、そういう産業・文化の意義も見られない。
光害で星が見えないということが環境問題であるときに、わざわざ税金で光害を出すことはないだろう。

オーケストラの経済効果や役割について、下記のような文章を書いたことがある。

http://members.aol.com/R5656m/or7.htm
http://members.aol.com/R5656m/or1.htm

例えばドイツのバンベルクというのは、それほど大きくない地方都市だが、バンベルク交響楽団といえば、世界中のかなりの人が知っている。
よくある○○政府観光局の観光アピールの新聞広告や屋外広告など、結構、お金をかけているだろうが、バンベルク市は、そのような支出をしなくてもオーケストラがあることで、世界的知名度を得ている。まことに効率的である。

さて、演奏会は、入場収入で予算が賄われれば理想的だが、その入場料は高いだろうか?
新地のクラブに1回行くのと、在阪オーケストラの年間定期会員になるのが費用的には同じくらいである。法人会員1口と、吉兆の一人分が同じくらいである。
企業接待でいえば、お得意さんを高級な飲食店に接待に連れていくのより、在阪オーケストラのコンサートに毎月招待する方が安いのである。後者を喜ぶお得意さんがいて営業的にメリットがあれば、交際費用途は後者でも良いのだ。
何十億円もの邸宅に住み、外車を乗り回す金持ちのうち一握りが、邸宅を一回り小さくして、ベンツを普通の日本車に変えて、毎月コンサートに通う贅沢に切り替えればそれで済むレベルのことなのだ。
ゴルフ1回2万円に対して、在阪オーケストラのコンサートは1回4000円くらいのものである。


さて、私自身の個人的支出で、どのオーケストラをお金を出して聴きに行くかであるが、
作曲家という立場から言えば、現代作品、日本の現代曲を演奏しないオーケストラは、とりたてて支援する意味はない。
美術館でいえば、ゴッホなどの高い名画を海外から買って展示している以外に、学芸員がヨーロッパの名画の研究はしていても現代の作家とは関わっていなくて、現在の創作活動に協力してくれない美術館のようなものである。
現代作品、日本の現代曲を演奏しない地元プロオーケストラが減って、地元プロオーケストラによるベートーヴェンの演奏回数が3分の2になっても現代の作曲家としては大きな痛みはない。ベートーヴェンが好きな人は、ちゃんと沢山いるので、素晴らしい演奏をするアマチュアオーケストラもあるし、採算にのる有名演奏団体の公演、外来演奏家の公演で、充分聴くことができる。
しかし、プロオーケストラの予算が減って、現代作品をプログラムに入れられなくなって古典名曲に切り替えられ、近現代音楽に馴染みをもった耳のこえたお客さんもいなくなるという事態になり、オーケストラの演奏水準が現代作品を演奏できるレベルではなくなってしまうなら、現代の作曲家は、オーケストラ曲を作っても演奏されるという希望は絶たれる。クラシック音楽の分野での作曲というものの将来にとっては致命的な打撃である。
過去の名曲は連綿と演奏の伝統が守られ、聴かれつづけることで既に人気を得ている。
しかし、初演され、何度も聴かれる前から人気のある曲は存在しない。
演奏されて多くの人に聴かれた中からレパートリーは選ばれるべきで、演奏される前に葬り去られていては、どんな曲も残ることはできない。
プロオーケストラが演奏してレパートリーとして開拓していかなければ新しい広がりは生まれない。アマチュアオーケストラが、価値の未確定な未知の新作を取り上げるのは大変な冒険であって期待は難しい。

ヨーロッパの名曲を本場の演奏で楽しみたいという音楽消費だけを考えるなら、某民放局のホールで、某音楽事務所が招聘する有名演奏家に古典名曲を(しばしば本人の希望曲目を拒否して)演奏させて、ブランド志向のお金持ちのクラシックファンがお金を出して聴けば充足できることである。クラシック音楽を、所詮そのようなものとしてしか理解していないなら、大阪のオーケストラへの補助金の意味は、「一部の人の贅沢に金を使うの?」という知事の疑問どおりである。