中村真さんのピアノを聴く

神戸ハンター坂のクレオールで、中村真さんのピアノを聴く。

オリジナルのソロは個性的で、ボキャブラリーの幅が広い。

ジャズを聴くことは、時々あり、しばしば、即興と称しながら、実は、過去の誰かの演奏の断片の引用をつなぎ合わせたようなマンネリズムと予定調和に飽きることがあるが、中村真さんの演奏は、ほんものの即興である。
計画的なコントロールはなされるが、こういう音楽がきて、こういう部分が来て、こういう趣向の部分が来てという枠組みが決まっていてその中で当然出てくる演奏ごとの差違(あるいは悪く言えば誤差)があるというような組立てではない。

あるアイデアとアイデアが組み合わさり、その組み合わせの結果から、さらに新たな分岐の可能性が予想外に広がっていく、その可能性の無数の分岐路から、その場で進む道を、瞬間、瞬間に選んでいくような感覚、ある瞬間の選択が、音楽的シチュエーションを発生させ、そのシチュエーションが、さらに新しいシチュエーションを誘発していくように進む。
予定されたシチュエーションを即興を装って作っていく疑似即興とは大きな違いだ。
まさに、その場で、「展開」されていく即興。

後半はゲストを迎えてのトリオ。
ここでは、ベースやトランペットのプレイに対して、コメントのように加えていく、非常に短いパッセージが面白い。
相手の音をなぞるとか、相手がやっている音楽のスタイルに合わせた既存のスタイルの音楽を「引き出し」から持ってきて付けるという単純なものではなく、相手が、こう言っているのに対して感想を言ったり答えたりしている感覚なのだ。

今日は非常に楽しんだ。