協奏曲でのオーケストラの立場

技巧的な協奏曲は、演奏者の技量や表現を発揮するために、楽器や演奏技術の範囲をいっぱいまで駆使して見せ場をつくる。
そのため、ソリストと作曲者が綿密にやりとりして、技術的な限界や楽器の特性などを話し合って新しい表現を開拓していくことがしばしばある。

協奏曲では、例えばロマン派のパガニーニなどの協奏曲だと、ソロは作曲者自身の演奏するため技巧的だが、オーケストラは単純な伴奏に徹している。


こうした協奏曲は、オーケストラを単なる脇役ととらえている。
しかし、ブラームスあたりになるとオーケストラを単なる脇役ととらえず、まさに協奏する
対等な立場に置くようになる。交響曲などオーケストラ自体が主役になる曲を書く作曲家だから、オーケストラ自体の表現力を重要視し敬意を払ってオーケストラパートを緻密に書くということになる。
これが20世紀になると「管弦楽の為の協奏曲」という曲種があるように、オーケストラ自体の高度なアンサンブルそのものが協奏曲のソロに匹敵するような主役になってくる。


ソロ楽器の探求と同様に、オーケストラにももう一つの主役として敬意を払い、オーケストラがどこまでのことが出来るのか、どれほど見事なアンサンブルをもっているのか、普段から聴いて、それをいっぱいまで発揮する場面があるように心がけた。
今回、演奏して頂いた関西フィルは普段からいつも定期に通っていて、大変、好きなオーケストラで各パートを聴くのも楽しみなので、各楽器が前面に来る場面も出来るだけつくり、ピアノ協奏曲の「伴奏」に終わらないように心がけた。