音楽のわかりやすさ

12月のピアノ協奏曲の初演の反応。

これが、まっぷたつに反応が分かれますね。

「わかりやすい。」と言う人と、「ちんぷんかんぷん。」という人とに真っ二つに反応が分かれました。

今は、評論家など専門家の批評ではなく、一般の音楽ファンで聴きに来た方の感想などもネットで読めたりします。

ちんぷんかんぷん、難解、わけがわからない現代音楽だと反応している方の多くは、古典派やロマン派の名曲は好きだが近現代音楽を普段聴く機会の少ない方と見受けられ、ラフマニノフを演奏されるのなら行ってみようと足を運んだ方が多いようです。
一方、ある程度、ストラヴィンスキーバルトークあたりなら普段、聴くという方には、とくに抵抗なく聴いて頂けた様子。

とはいえ、作曲者としては、演奏者には難しいとしても、聴く人にはわかりやすい音楽、また美しい音、聴いて楽しめる音楽をごく自然に書き綴っただけにも関わらず、全く、それが伝わらないというのはどういうことなのだろうか?

 最近は、ネットで一般の音楽ファンの方が演奏会の感想を個人的に書いているのを目にすることが出来ますが、例えば、在阪オーケストラなどが、アイヴスあたりの近代の曲を演奏した後に検索すると、こうした曲でも、よくわからない曲が入っていたと感想を述べ、プロコフィエフでさえ苦手と書いている人もいる一方で、こうした近現代作品こそ刺激的で面白いプログラミングだとして楽しみにしている音楽愛好家も沢山いる。
 
 音楽は聴衆あってのコミュニケートだから、曲は判りやすく書こうと努めているが、ストラヴィンスキーやアイヴスでも難解だという人との100年の受容のギャップは大きい。
美術でいえば、ピカソやミロやマチスカンディンスキーさえほとんど大多数が鑑賞経験が無いというくらいの受容状況だろうか。
まず、ごく当たり前に、20世紀の近現代音楽の優れた作品が日常的に聴かれて馴染まれているという成熟した音楽生活の状況が生まれることが、聴衆と新しい音楽の幸福な関係を回復させる為の前提ではないかと思う。
そうでないと、ごく自然に、20世紀以降の音で書いた音楽が、まるで伝わらないということになる。

 そういう意味でも、在阪オーケストラが、20世紀の名曲を上手く盛り込んだ企画でプログラムの幅を広げつつあり、比較的受け入れられやすい作風の作曲家の新作を取り上げて初演物への心理的抵抗感も取り除いていっているのは、とても創造的な状況を作り出す、素晴らしい動きであると思う。