関西フィル定期 

関西フィルの定期でベートーヴェンのピアノ協奏曲5番とショスタコーヴィチ交響曲第10番を聴く。
ソン・スーハンは、非常に技量に余裕のあり、曲のスケールを余裕をもって実際の音にしていくピアニストであった。
出力の幅が非常に大きく、しかも大きな音でも非常に音量を抑えたところでも音が堂々と余裕を持って鳴りきる。非常に速く弾いているのに慌てて急いだ感じがなく豪快に余力をもってスピードがあがる。
アンコールに珍しくソロを弾いたが、これがヒナステラピアノソナタ

ヒナステラのピアノ協奏曲をこの人が弾いたら凄まじいだろうなあ。

ショスタコーヴィチの第10番は、ホルンが朗々と悲痛に鳴らなければならないので、昔は、日本のオーケストラで聴くとホルン奏者の無事を祈ってはらはらしなければならないような曲だったが、近年は、関西フィルの管楽器も上手くなったし、上手いだけでなくこうした近代から現代の作品の作曲家ごとの楽想の特徴やスタイルを非常に的確に捉えた演奏を聴かせてくれるようになった。

20〜30年前なら、日本のオーケストラの定期に通うより、何回分かのお金を貯めて回数を絞ってでも外来有名オーケストラに行く方が満足度が高かったが、近年はそういうことはなくなった。
来日オーケストラが、集客や一過性のスポンサーを考えるマネジメントやメディアの都合上、超有名交響曲とレコード会社売り出し中ソリストの有名協奏曲の超スタンダードプログラムの繰り返しに陥る一方、日本のオーケストラは、定期会員などの観客動員のベースも有るので、かえって曲目の幅も広げやすく、また、客も1回ごとに「知っている曲が入っている」からチケットを買う単発の集客よりも、何回も通っても飽きの来ないプログラムを求めるようになりつつあるのではないか。
ショスタコーヴィチ交響曲第5番ばかりを外来オーケストラが演奏し、年に数回ブランド志向でコンサートを選ぶ客を集めても、カニバリを起こして集客に苦労する。
プラハ交響楽団は何度来日しても「新世界」なので1回聴いたら再来日行かないが、大フィルなどでマルティヌーヤナーチェクをビエロフラーベクなどチェコの大指揮者が振るとなれば聴きたくなる。

有名な5番を毎回繰り返し要求するより、ショスタコーヴィチ交響曲の面白さを定期演奏会で会員に体験してもらって、1番から15番まで、15回来場いただくほうが需要喚起になってくるのではないか。
レコード会社だって5番の同曲異盤を必死で宣伝して売るより、15曲のCDが欲しくなるようなマーケティングをしたほうが商売になるだろう。
プロコフィエフマルティヌー、ミヨー、プーランクブリテン、ヴィラ=ロボス、ヒナステラ、ヴォーン=ウィリアムス、ヒンデミット、武満、黛などなどもっと演奏会で取り上げる頻度をあげて、誰もが知っている客の呼びやすい名曲に育てるべきだろう。
こうした20世紀の名曲を聞き慣れたお客さんが増えてくれば、我々、現代の作曲家も聴衆の方を向かって作曲活動がしやすい。
モーツアルトブラームスの有名曲しか聴かない聴衆に現代音楽が歩み寄れと求められても無理がある。でも、普段、このあたりの曲を聴き慣れている人に聴いてもらうことを前提に新しい音楽を書くのなら、そう無理のあることではない。