ケージについて

ケージの衝撃は、ヨーロッパの「技術(技法)の進歩」にショックを与えたかもしれませんが、これは相手が戦後の前衛の何事も徹底した思考に突き進む人達であったからこその衝撃の大きさであったかもしれない。
もし、即興演奏家もいたり、法螺貝の坊さんがいたり、鳥の声を鑑賞する人もいるアジアの街角で同じことをやっても誰も見向きもしなかったかもしれません。
ヨーロッパの芸術の外では昔からあった聴き方を、欧米人に再発見させた「気づかせる」人であったのかと思う。
しかし、ケージの音楽が、「非西洋的」であるかというと疑問で、率直な発明と自由の精神で、近代的個人の為の「音の聴き方」の音楽であるように思う。
東洋などの社会と不可分の伝統音楽などとは基本的に大きな違いが感じられる。