ケージをめぐって

しげりんさんとのやりとりで話題にのぼったジョン・ケージについて。

>世界的な現代音楽なんだから譜面は真っ黒で と言いたいんですが
>これが実に簡単なので二度びっくり
というのが、しげりんさんのケージのピアノ曲への感想。

譜面は真っ黒、理論は複雑なのに、どれを聴いても一般人には同じに聞こえる・・・という「現代音楽」に猛然と反旗をひるがえしたのがケージ。
なお、日本の「現代音楽界」はケージに反旗をひるがえされた側のブーレーズなどのヨーロッパの「知的な現代音楽」陣営の追随者が多くて、ケージをまともに受け止めた人は少数派。
野村誠さんの音楽は「ケージ以降」の音楽。
松平頼暁氏や川島素晴氏の音楽は「ケージ以降」と「ケージ以前」の折衷。

なお、私は長らくイギリス音楽の影響下でいた極東の島国の作曲家なので、2重の意味で「島国」で孤立してケージ・ショックは直接は受けませんでした。
でも、「島」の連打やリピートのプロセスは、「ケージ以降」のミニマル・ミュージックなしにはありえない発想だったと思います。

>なんでこんな簡単なものしか書けないんだろうという憐憫の情が沸いてきました
>もうひとつは何故こんなに簡単なのに世界を制覇したんだろうという驚きです
というのがしげりんさんのもたれた印象。

それは、ヨーロッパの「知的な現代音楽」のインテリが、頭は良くて知識はあるのに思考が極端で視野が狭いという、高学歴なのにくだらない偽宗教の教義や、数字や言葉遊びにはまりこんだりする秀才のような反応特性があって、ケージのシンプルさに、えらく大袈裟に反応したというわけでしょうか。
ケージは、彼らの反応の仕方を計算済みであった戦略家だったわけですね。

しかし、ケージの音楽はシンプルな中に、自由で遊び心のある。「極端に素直に音を聴き、喜ぶ態度」があり、はっきり個性のある作曲家です。
和声法の出来映えはどうだ、形式の完成度は、感情表現の深さは?・・・こうしたクラシック音楽の「音楽の善悪の尺度」をはずした音の聴き方を、もっとも知的な現代音楽の中で提案したから衝撃だったわけですね。
・・・庭の水琴窟づくりに凝っている日本のおじいちゃんなら、とっくに身につけている文化ですが、ヨーロッパ人には欠けていたということですね。