奈良ゆみさんのコンサート「日本の女性作曲家を歌う」

奈良ゆみさんのコンサートを聴いた。大阪、モーツアルト・サロン。
明治、大正、昭和の日本の女性作曲家の歌曲。

松島つね(1890−1985)
外山道子(1913−2006)
渡鏡子(1916−1974)
金井喜久子(1906−1986)
吉田隆子(1910−1956)

いつの時代に、どこでどのように生きていたかを鮮明に反映した作曲家の音楽は、その場所、その状況での切実な音楽的発言であり、その時代、その場所、その状況で生まれた代替のきかない文化だと思う。

音楽は、一握りの世界的大作曲家の音楽さえあれば、こと足りるというものではない。一人一人の音楽は、大作曲家であろうと代替することはできない。例えばモーツアルトドビュッシーがあるから、吉田隆子や金井喜久子の音楽は必要ないとかいったことは断じてない。

一握りのクラシックの大作曲家の作品だけを繰り返し演奏して、彼女達を含め世界中の多くのかけがえのない音楽を演奏せず聴きもしないで放置する、現在の大多数のクラシック音楽の演奏会の状況は、結果的に、多くの作曲家の大切なメッセージを闇に葬っているのだ。

音楽史をふりかえると、ショスタコーヴィチシェーンベルクヒンデミットストラヴィンスキーなどの音楽を巡っても、擁護者と批判し圧迫する者達との戦いがあった。しかし、まずは、こうした作曲家を擁護し演奏しようとする人達はいて、作品が上演され、社会的にインパクトを与えるだけの聴衆がいて、上演された作品に対して当局や批判者が影響力に危険を感じて圧迫を加えるという状況である。

現代の日本では、幸いにも、作品の発表にあたりそのような危険を感じることは稀だ。しかし、それ以前に、そもそも、誰も演奏しようともしない、上演もされない、誰も聴かないという状況なので社会的影響力もないということなのだ。ヒンデミット事件は、ヒンデミットを世界的な大劇場で上演しようという音楽家達やマネジメントがいたから起こったわけで、ヒンデミットが誰にも演奏されず興味をもたれていない作曲家であったら起こらなかった事件だ。ソヴィエトのジダーノフ批判は有名だが、これは、ショスタコーヴィチプロコフィエフ、モソロフなど同時代の作曲家の音楽が、音楽生活に影響をあたえるほど関心を持たれ、多くの演奏家により上演されていた状況があり、その上演された作品が批判されたのだ。
政治的にはひどい状況とはいえ、この時代、この場所には、こうした新しい音楽を支持し上演しようとする演奏家や音楽関係者、主催者と聴衆がいたということでもある。
日本で例えれば、吉田隆子の大きな舞台作品を戦前、戦中の東京の大劇場で上演しようとして、近衛か山田耕筰クラスの人達が動き、軍が怒り、そこで、オペラのかわりに管弦楽の抜粋を、尾高が上演し、放送もされたあげく、こうした指揮者が地位を失い、弟子の作品を擁護した橋本國彦が大学を追われ、吉田隆子は亡命するというくらいの騒ぎがヨーロッパやソヴィエトでは起こっていたということである。

なお、実際の戦前、戦中の日本では、欧米の音楽の上演が制約され、かわりに、日本の作曲家の作品の上演が非常に奨励されたので、実は、この時代が、日本の演奏会で最も、日本の作曲家が優遇された時代である。戦前、戦中の日本の作曲家に、おどろくほど、おおきな管弦楽曲、モダンで大規模で秀麗な作品が大量にあるのはこのためである。
その恩恵を、橋本國彦も伊福部昭も含め多くの作曲家が享受した。

今回、上演された作品のうち、
外山道子の「やまとの声」は、1937年時点のヨーロッパ現代の最新の語法と日本の伝統音楽的な要素を巧妙に組みあわせて書かれた洗練された作品で、現在、フランスなどで高い評価を得ている日本の女性作曲家達の、まさに先駆者。フランス近代音楽的というより、むしろヒンデミットの落ち着いた作品を思わせる音がした。
金井喜久子の作品は、クラシックの演奏形態のための作曲家として仕事をする立場と、あまりにも強靱なローカルな音楽文化の反映との間でのポジションの困難さを感じた。琉球の音楽そのものを、琉球の楽器を使って演じた本物を、現代ではその気になれば身近で聴くことが出来る。クラシック音楽的に分析して作りあげるほど、原曲の生命力はしばしば損なわれてしまうし、そのままの編曲では、よほど演奏が素晴らしくなければ、原曲の素晴らしさにかなわない。金井喜久子は、この難しさをあえて引き受けているが、これは、沖縄の音楽が、彼女にとって外にあるものではなく、内側にあるものであること、彼女自身がそれを内側にもったまま、琉球音楽の外で仕事をする状況にあったがための必然性である。
琉球の歌が楽譜にピアノ伴奏でクラシック音楽的に整理されて記譜され作品としてまとめられ、それを、読譜してクラシックの演奏家が再現しようとするとき、琉球の音楽そのものに劣らない音楽の生命力を生み出すためには、演奏家への要求は非常に大きいように思う。

吉田隆子の音楽は強靱である。ショスタコーヴィチ等の最も厳しい時代の作品に匹敵する強さがあると同時に、ここには立派な芸術作品として普遍化され抽象化された感情ではなく、もっと、具体的な個人の切実な感情と怒りを引き出す生々しさがある。「生きる苦しみ」の抽象的な音楽ではなくて、「あの政治家、あの大臣、どこの役人が」というもろに相手のある怒りである。この生々しさは、大作曲家の立派な芸術音楽では出会うことができないほどの強烈さをもっている。

例えるなら、
「自然を大切にしましょう」という美しい詩と、目前の具体的な自然破壊工事を計画した役人と政治家と推進派の建設屋に対しての生活のかかった漁民の怒りとの違いがある。


2008年7月17日、18日 各19時開演で
東京、松尾ホールでも同じプログラムで開催されます。