ムサフィール Musafir

兵庫県立芸術センター中ホールで、北インド ラジャスタン地方の音楽舞踊団、ムサフィールを聴く。
タブラなどの楽器から引き出される、様々な箇所を変化自在の多彩な奏法、驚くべき豊かで変化に富んだ音に驚かされる。しかも、奏法は視覚的にも多彩である。
楽譜に記譜された多種多様な特殊奏法(その楽器の奏法として磨かれた歴史がなく、必ずしもその楽器の従来の奏法に比べて表現力の豊かとは言い難い)を、その都度、クラシック音楽系の奏者が楽譜を再現する高度な技術によって組み立てるラッヘンマンの音楽よりも、奏者が伝統と意味をもって深く身につけて奏する驚異的に多彩な奏法の蓄積を繰り出すこの伝統音楽は、私にはより魅力的に感じられる。
全身にマンジーラという小型のシンバルをつけて踊り奏するのも面白い。
まさに「演じる音楽」である。このような演じる音楽、動作と一体となった音楽は、音楽の伝統の中ではむしろ普通である。
そのパフォーマンスは、クラシック音楽の奏者が、譜面を解読しながらおずおずと行う演技とは比べられない高度なものに思える。

カルタールという一種のカスタネットを両手に持っての超絶技巧も驚異である。

口琴や、ババングという打楽器のような弦楽器の、ムックリを連想させるような音が、従来のクラシック音楽の楽音の概念を越えた馴染みのない音響を生み出すが、それらは、インドの音楽の伝統的なアンサンブルに全く違和感なく組み込まれている。

非常に精度の高い繊細で密度の高いアンサンブル。リズムのアンサンブルの高度さも驚くべきものがある。
音程の微妙な表現力、倍音の豊かさ。発声の見事さ。

全体としてはインド音楽への私の今までのイメージを破るような特殊な音楽というわけではないのだが、こういうインド音楽のアンサンブルというものが、このような高度な伝統技術によって作りあげられているものであり、録音ではとらえきれない音響の豊かさと舞踊や動作のアンサンブルをともなった高度なものであることを、思い知らされる。
この団体はインド国外で興行的な制度にのって国際的に活動しているわけで、とくに洗練された技術と、コンサート出演という制度にあわせた音楽の作り方を発展させていて、地元で普段聴かれているものとはいささか様相は異なるのかもしれないが、実に高度な演奏アンサンブルである。

クラシック音楽や現代音楽は複雑で技術的で組織されていて、民族音楽はそれに比べて素朴なものであると言うことは決して出来ないのだ。

小難しい日記を書いたが、それにしても、この公演は楽しかった。
それにしても、なんと気持ちのよい音楽であろうか。

さっそく、高度なカスタネットや打楽器のアンサンブルをもったオーケストラ作品を書いてみたい気分となった。