2007年6月12日江村哲二氏急逝

2007年6月11日 
作曲家 江村 哲二氏(えむら・てつじ)が、膵臓(すいぞう)がんで死去された、47歳。
http://www.asahi.com/obituaries/update/0612/OSK200706120022.html
http://tetsujiemura.com/

2007年5月26日
大阪、いずみホールで、サントリー音楽財団コンサート「TRANSMUSIC 対話する作曲家 江村哲二」を聴いた。
江村哲二氏と脳科学者、茂木健一郎氏のトークがあり、江村氏の自分の音楽の可能性への自信に充ちた話しを聞いた。
自分の脳の中に構想され聴かれるクオリア(テクスチャーが立体化したような概念か?)を楽譜に書き、それが実際の音として多数の演奏者により現実化される作曲行為のプロセスなど、作曲というプロセスの、ごく真っ当で冷静な自己観察の話しは、きわめて必然的で、聞いてしまえばあたりまえな話しであるが、現代音楽の作曲という音のクオリアそのものを捉える思考作業や脳内での把握と現実化への作業プロセスをあらためて、普通に一般の人にわかるよう解説しようとする試みは、ありそうでなかったのではないか。
いささか知的ファッションにくるんだボキャブラリーで知的高度さを過剰演出した格好良い言い回しに陥ったり、あるいは、自分たちの現代音楽の独特の高度な作業=音のクオリアそのものを構想し、オーケストラというメディアでそのクオリアを現実化する=脳内の音響空間を現実のものにしていく高度で複雑な作業のもたらす圧倒的な満足感と、それを実行できる自分達の高度な能力への自信が、いささかエリート臭のする言い回しを招いてしまったりと、多少、一般向けトークとしては不器用なところはあったが、納得性の高いトークであった。ただ、「ポピュラー音楽を作るのは簡単」と豪語していたのには「ほんまかいな」と疑問は感じたが・・・。

茂木氏との共同作業による新作世界初演の瞬間への立ち合いが、今後演奏され続けていく作品の誕生として重要な瞬間であるかもしれないと、自分達の仕事の重要性を楽観的に信じて進む積極性、自分の作曲について現時点での自己満足や業界内評価だけではなく今後いろいろなところで聴かれ受け継がれていく音楽を作るのだとの意気込みは、作曲をする以上、たとえ、現代音楽嫌いのクラシックファンなどに尊大だとか自信過剰だと言われようが大切なことだと思う。
自信に満ち、作曲をする自分の可能性への信頼と希望に満ちた元気な姿に直接触れることができた。
私自身は、今まで、江村氏の音楽を聴く機会はほとんど無く江村氏との直接の接点はなく、お話するなどの機会はもったことがないが、今回の演奏会は、貴重な機会であった。

江村氏の音楽は、オーケストラなど比較的編成の大きい主要作が多いこともあり、また、独学から出発して国内の音楽大学などとの関わりが薄い時点で国際的な作曲コンクールで入賞して国際的評価を得た経歴が関係するのか、名声と評価のわりに、関西での小規模な現代音楽の室内楽などの演奏会や作曲家グループの演奏会や、演奏家のリサイタルなどで実際に音楽作品を聴く機会はきわめて少ない。
関西で細かく現代音楽の演奏会に通っていれば、西村朗氏や川島素晴氏、あるいは地元の音楽大学との関わりの深い鈴木英明氏、久保洋子氏などの作品を聴く機会はあるが、江村哲二の音楽は、国際コンクールでの入賞や海外や東京の大きな演奏会でのニュースばかりが伝わってくるばかりで、実は、実演で一度も聴いたことがなかった。

昨今、武満徹作曲賞とか、芥川作曲賞の本選作品、あるいは武生の音楽祭など聴くと、音色とテクスチャーと様々な倍音をコントロールしつつ膨大な音をコントロールする能力、特殊奏法等の駆使、掴みがたいほど複雑な音価の組み合わせ、形式の独創性競争など、作曲の技術競争に圧倒される気がする。
江村氏の曲は、こうした中で様々な現代の手法のバランスのとれた美しい職人的仕上げと知性と美意識バランスの見事さで文句のつけようがない。ルトスワフスキと武満の間の何もかも身につけようとしているかのような貪欲な作曲技術の修練。
あれは真似できない。
現在、江村氏、猿谷氏、藤倉大氏のようなすさまじいまでの洗練された高度な作曲技術を持ち現代音楽界で国際的評価を得る作曲家がたくさんあらわれていながら、一般の聴衆の興味が相応に得られていないのは何故だろう。
昔、芥川や黛の世代なら、作曲家は、もうちっと一般社会に有名人であったように思う。

江村氏の音楽は、どの細部をとっても素晴らしく美しく仕上げられた音のテクスチャー、変化に富んだ書法、知性を感じさせる構成力、抑制された品位のある叙情性など、個々の作品の出来映えに不満の言いようはない。
独学で出発し、会社勤めをしながら作曲家を目指し、アカデミックな立場の誰にも文句を言わせない作曲技量で、作品自体で、音楽界の中での活動の場を有無を言わせずに獲得していく必要のある立場であった為だろうか、作曲能力の高度さはすごみがある。
ところが、例えば、武満なり黛なり川島氏なり西村氏なりの音楽にあるような、強い個性、性格、作曲家のキャラクターが正面きってアピールしてこない気がする。
音楽の性格と技術の質が、様々な現代音楽の流れのどこにいる音楽関係者にも悪口を言わせないバランスの良さをもっていていささか八方美人的に良識的に感じる。
今回の新作、
≪可能無限への頌詩≫語りとオーケストラのための〜茂木健一郎の英詩による〜(2007 新作初演)
ところどころでの茂木氏自身の語りを入れるタイミングを明確にする為に必要であっただろうと推測される、いささか気恥ずかしくなるほど明確な演出と構成で、アメリカの作曲家が書くナレーター付き作品でのナレーションバックのオーケストラのリピート処理みたいなところまである。
もう、専門家の評価が分かれても構わないから、聴衆へのコミュニケーションを意識して踏み越えようと試みたのだろうか。

この演奏会は2007年5月26日。
江村哲二氏本人のブログ
http://tetsujiemura.blogzine.jp/
は、2007年5月31日まで更新されている。江村哲二氏本人のブログ日記の最後の日の記述が印象に残る。
ご本人の逝去にともない、このブログサイトが更新のないまま、今後、維持されるのか、消えてしまうのか判らないし、このブログ内容がなんらかの出版物で残されるかも判らない。
ブログの全文引用というのは、本来、権利概念で言えば好ましくないが、あえて、記録保存しておきたい意味もあって、最後の江村氏のブログを以下、全文引用記載する。




===以下、江村哲二氏 2007年5月31日ブログ引用===


視差ということ
陽が長くなった。
ゼミ等々を終えて研究室を出てもまだ明るかった。
不安定な雷雲が通り過ぎた後の青空に満月まもない月が松林の向こうに上がっていた。
その松の緑色と空の青色と月の金色とのコントラストに美しさに、はたとして足が止まった。
これだけでも一曲のオーケストラ作品が書けそうであった。作品のテーマというものは、日常の路上にいくらでもあるのだ。それに感じるか否かだけであるということをその一瞬に悟った。

月は必ず追いかけてくる。小学生のころ、それが不思議であった。自分の進路方向の変位に比べて、そこから月までの距離が無限大程の大きさであるから故であることの、視差という意味がわからなかった。

しかし、我々の日常の視差は、ひとりひとりすべて僅かに異なる。その視差に出会い、そしてそれにあはと気付くか否かによって、生まれ出てくるものは無限大程の大きさの差となって現れてくる。



===以上、江村哲二氏 2007年5月31日ブログ引用===


▼公演日時 2007年5月26日(土) 開演 15時
▼会場 いずみホール(所在地:大阪市中央区城見1−4−70)
▼曲目 第1部 江村哲二茂木健一郎によるトーク
第2部 コンサート
武満徹ノスタルジアアンドレイ・タルコフスキーの追憶に〜(1987)
江村哲二/ハープ協奏曲(1997)
江村哲二/≪可能無限への頌詩≫語りとオーケストラのための
茂木健一郎の英詩による〜(2007 新作初演)
▼出演 齊藤一郎(指揮)
(ハープ)
大谷玲子(ヴァイオリン)
茂木健一郎(朗読)
大阪センチュリー交響楽団



作曲家としての知名度のわりに、入手しやすいCDも乏しく、演奏機会も少ない現状。
今後、作曲家本人の働きかけというエネルギーを失っても、江村氏の音楽の可能性が、演奏家により拓かれる機会が、ひきつづきありつづけることを祈ろう。